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エルトゥールル号遭難事件「困った時はお互い様」の精神が海外で称賛!


今回は心温まる話、エルトゥールル号遭難事件について話します。

この話は、数年前に映画化されましたので知っている人も多いかと思いますが、日本人全員が知るまで語っていこうと思います。

 

1890年(明治23年)オスマン帝国(現在のトルコ)の軍艦エルトゥールル号は、日本へ向けて出港以来、蓄積し続けた艦の消耗や乗員の消耗、資金不足に伴う物資不足が限界に達していました。

また、多くの乗員がコレラに見舞われたため、9月15日に横浜出港の目処をつけました。

しかし、遠洋航海に耐える事ができないエルトゥールル号の消耗ぶりをみた日本側が台風の時期をやり過ごすように勧告。

オスマン帝国側は、その制止を振り切って帰路についたのです。

遭難事件はその帰途に起こりました。

 

9月16日21時ごろに、折からの台風による強風にあおられ紀伊大島の樫野崎に連なる岩礁に激突、座礁したエルトゥールルは、機関部に浸水して水蒸気爆発を起こし22時半ごろに沈没。

これにより、司令官オスマン・パシャをはじめとする600名以上が海へ投げ出されたのです。

樫野崎灯台下に流れ着いた生存者の内、約10名が数十メートルの断崖を這い登って灯台にたどりつきました。

灯台守は応急手当てを行なったのですが、お互いの言葉が通じず、国際信号旗を使用して意思の疎通を図り、遭難したのがオスマン帝国海軍軍艦である事を知ります。

通報を受けた大島村(現在の串本町)樫野の住民たちは、嵐の中を総出で救助と生存者の介抱に当たりました。

この時、台風により出漁できず、食料の蓄えもわずかだったにもかかわらず、住民は浴衣などの衣類、卵やサツマイモ、それに非常用のニワトリすら供出するなど、生存者たちの救護に献身的に努めました。

その結果、樫野の寺、学校、灯台に収容された69名が救出され、生還することが出来たのです。

ただ、残る587名は、死亡または行方不明となり、大惨事となりました。

遭難の翌朝、事件は樫野の区長から大島村の村長に伝えられます。

付近を航行中だった船に、大島港へ寄港してもらい、生存者2名が連絡の為神戸港に向かいました。

神戸港に停泊中だったドイツ砲艦「ウォルフ」が大島に急行し、生存者は神戸に搬送、病院に収容されることになります。

そして、村長は県を通じて大日本帝国政府に通報しました。

知らせを聞いた明治天皇は、政府に対し、可能な限りの援助を行うよう指示。

各新聞は衝撃的なニュースとして伝え、多くの義捐金・弔慰金が寄せられたといいます。

こうして遭難者に対する支援が国をあげて行われ、日本海軍の「比叡」と「金剛」が、遭難事故の20日後の10月5日に、東京の品川湾から出航。

神戸で生存乗員を分乗させ、翌年の1891年1月2日にオスマン帝国の首都・イスタンブールに送り届け、弔慰金はトルコの遭難者家族に届けられました。

 

この事件がきっかけとなり、日本とトルコの友好関係が始まったと考えられています。

現在、和歌山県串本町とトルコのヤカケント町、メルスィン市は姉妹都市です。

また、樫野崎灯台そばには、エルトゥールル号殉難将士慰霊碑およびトルコ記念館が建っており、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭が5年ごとに行われています。

この話には次のような後日物語があります。

 

1985年3月17日イラン・イラク戦争の最中の出来事。

イラクのサダム・フセインが「今から四十八時間後にイランの上空を飛ぶすべての飛行機­を撃ち落す」と無茶な事を世界に向けて発信しました。

日本人も企業の人達やその家族が大勢イランに住んでいて、彼らはあわててテヘラン空港に向かいました。

しかし、どの機も満席で乗る事が出来ません。

世界各国は自国の救援機を出して救出していましたが、日本は素早い決定が出来ず、空港にいた日本人達はパニック状態になっていました。

救援機は来ないと日本人達が絶望しかけたその時!

そこに、二機の飛行機が到着します。

この飛行機は政府専用機でも、JALでもANAでもありません。

なんとトルコ航空の旅客機で、日本人全員を乗せ成田に向けて飛び立ったのです。

 

前・駐日トルコ大使ネジアティ・ウトカン氏はこの件に関して次のように語りました。

「エルトゥールル号の事故に際し、大島の人達や日本人がしてくださった献身的な救助活動を今もトルコの人達は忘れていません。

私も小学校のころ歴史教科で学びました。

トルコでは子供達でさえエルトゥールル号遭難事件の事を知っています。」

なんて感動的な話でしょうか!

「困った時はお互い様」の精神でやった事が返ってくる、「情けは人の為ならず」です。

約100年前もの出来事をしっかりと語り継ぎ、恩を返すというトルコの人達も素晴らしいと思います。、

・・・1000年恨むというどこかの国とはえらい違いです。

しかし、日本の教育もこういった史実をしっかり伝えないといけないと思います。

文科省があてにならないなら親がしっかり伝えてほしいと思います!

今回の話はいかがでしたか?

 

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